日本伝統刺青は西洋刺青が始まった頃よりもっと前、電気のない江戸時代に始まりました。その為、タトゥーマシンを使用しない日本独自の手作業の刺青手法があり、それを「手彫り」と呼称します。
手彫りの語源は、ちょうど浮世絵板木の彫り師が板木を彫る動作によく似ていた為という説があります。また、刺青を施す行為を「彫る」という日本独自の表現はそこから来ています。
刺青事典其の2
-手彫り-
由来
日本の、特に和彫りの刺青師は自身の屋号に「彫」を使用する場合が多いのも、版木彫師を参考にしたと言われています。日本では刺青師の事を彫師、文身師とも呼称し、それらは一門により異なります。
手彫りの道具
手彫りの道具は「ノミ」又は「刺し棒」と呼称し、それは大まかに束ねられた針と天然或いは無機物で作られた柄の二つの部品で構成されており、針を柄の先端に糸などで固定したものを指します。(ノミは江戸時代の職人方が試行錯誤の上に作られたとされる道具ですが、前項で記述の通りその雛形となるものが存在したと私個人は考察します。)
針や柄の材質、及び形状や組み方は刺青師個人或いは一門ごとの門外不出の秘密であり、誤ったノミで彫るといたずらに肌を痛めますし色素が皮下に定着しません。
国外の伝統的な手彫りは、基本的にストレッチャーという肌を張る役と(主に弟子が行う)彫る役の二人仕事で、図柄は線による文字紋様と塗り潰しからなる構成です。それに対し日本の手彫りは、片手で肌を張りもう片方の手でノミを握り彫る一人仕事で、薄墨や本墨などを駆使し手元の動作や針が皮膚に当たる角度と強度を調整し彫り、アケボノ(グラデーション)等の様々な表現方法があります。
これは日本の手彫りの方が他より優れているという訳では無く、均一な幾何学模様はサモアの手彫りの方が正確に速く彫れますし、タイのサクヤンのような細かい線画は日本の手彫りには適していません。
伝統刺青にはその国で生まれた様式に合った独自の手彫りの手法があり、それに沿うことが重要です。
例えば、日本の手彫りでマオリや他の文化圏の刺青を彫る行為は、彼らの文化への冒涜に当たりますし、逆も然りです。
伝統刺青やその手彫りの手法はその国の生活の中で生まれた文化の一つであり、歴史があります。それを他者が身勝手な理由で改竄するべきではありません。
手彫りと機械彫りの違い
手彫りは機械彫りに比べ痛み、出血、皮膚の損傷が少なく治りが早いです。これは単純に1秒間に針が皮膚に当たる回数が手彫りの方が圧倒的に少ないという事と(タトゥーマシンは1秒間に80~100回、手彫りは4~6回です)、機械彫りは針が真っ直ぐ皮膚に当たるのに対し、手彫りは肌に刺さった後に引っ掛けるように抜く為(ハネ針)針と皮膚の間に隙間が出来、より多くの色素を流し込むことが出来、跳ねることにより色素が皮下で散るからです。
これらの理由により手彫りで仕上げた刺青は、色に深みが出て色持ちが良く、少しづつ皮下で色素が流動し経年により味わい深い良い仕上がりになっていきます。
ただし、その性質上細か過ぎる図柄や繊細な表現は機械彫りの方が適していますし、機械彫りより時間がかかります。*これらは刺青師の腕により異なります。
現在様々な種類の刺青がありますが、それぞれの刺青に合う刺青技法があります。どれが一番優れているというものではありません。自分がどんな刺青を入れたいかにより手彫りか機械彫りの刺青師を選ぶのが賢明です。
現在刺青の世界的大衆化により多くの人が刺青師になっています。それ自体は悪いことではありませんが、身勝手な立身出世の為に手彫りの刺青師を偽っている者がいるのを見聞きします。または善人を装って近づき、利用しようとしてくる者、等々。
世間では刺青師の事をタトゥーアーティストと呼称しますが、私個人は伝統刺青師に限っては先人の創り上げた伝統を引き継ぎ、試行錯誤しそれを改善し、次世代へと繋ぐ職人であると思っています。
よく先代は「彫師は職人であって商売人になっては駄目だ」と言います。
今一度自分を見つめ直し、職人としての誇りを持って仕事と向き合って精進して頂きたいものです。